2008年12月31日水曜日
2008年12月24日水曜日
BOOK CROSSING
先日、BOOK CROSSING に参加してみた。
読み終わった本に、BCID番号を記入したステッカーを本に貼り、友達に渡したり、ベンチにおいてきたり、カフェに忘れてきたり。
本を手にした人が、本に書かれているBCID番号をBookCrossing.jpのウェブサイトで検索すると、どんな旅をしてきたかが分かります。
現在位置や本の感想(ジャーナル)をウェブサイトで報告して、また本を世界に解き放つ。 そして、本は旅を続けていく…。
ダ・ヴィンチを読んで知って、なかなか面白そうだった。で、自分も本を置いてみたら、結構面白かった。というのも、以前に「ショップ・ドロッピング」というアクションにも興味があって、自分も実際にやってみたかったのだ。
つまりは、自分の持っている本にIDを付けて、読み終わったら誰かに渡して、本に旅をさせようという活動。BOOK CROSSINGの運営元のサイトを見ると、一月あたりアメリカでは7000冊、ブラジルでも5000冊が旅をしているみたいで、なかなか活発みたい。日本では一月に300冊前後が旅をしている。まあ、ぼちぼち。きっと700~1000冊ぐらいになれば一般化したといえそうだ。
BOOK CROSSING が面白い点は、公共の空間に本を置いてくるということも勧めている点。公園のベンチや空港の待合室や、バスの席やバーのカウンターとか、あらゆる所に本を置いて、新たな読み手との出会いをつくる。例えが非常に悪いけれど、なんだか動物を捨てる時に似ている。置かれる姿が目立たないように、けれど優しい人の目について貰われるようにという矛盾した感覚がそこにはある。
世界中の街中を図書館に!
という言葉がBOOK CROSSINGの日本版公式サイトに書かれている。
BOOK CROSSINGのコンセプトは目新しいものではなくて、アマゾンの在庫管理システムに代表されるような棚ではなくてIDによる管理方法がまさにそれだ。建築でいえば、古谷誠章のせんだいメディアテークのコンペ案での「人や情報が錯綜する森」というコンセプトが非常に近い。
せんだいメディアテーク以降、本やCDなどを人と人のコミュニケーションの継起とするようなプログラムをコンセプトとした案は多くあったので自分もわりと興味があった。けれど、あくまで公共の本である以上、本そのものに読み手の痕跡が刻まれる事はご法度であって、本を介して人との繋がりが発生するというのはなんだか胡散臭い。そこが、提案する側のプログラムが越えられない壁のように感じる。一方で、古本の場合、持ち主の書き込みがあったり、著者のサインがあったり、献本のコメントが書かれていたりする本に出会うことがある、この場合は実際に出会うことは無いけれど、人と触れ合うような錯覚があって、僕はとても楽しい。古本のシステムを公共の場に組み込めたら面白いのにな、と思っていた。一部の図書館では、不要な本を交換する棚を作っているけれど、いまひとつ面白い本は置かれていない。それはただ置くだけでは、古本屋に売って得られるお金以上の、価値が跳ね返ってこないからなんだろう。
BOOK CROSSINGはプログラムによって建築や都市が提供できなかったことを飛び越えているのが凄い。街を歩いているとBOOK CROSSINGされている本に出会う、面白そうで荷物に余裕があれば、それを拾う。RPGゲーム的だけど、そんな都市の側面があると街はもっと楽しくなりそうだ。
2008年12月14日日曜日
まち歩き
思わずカメラ構えてしまった。かなりのスピードで走ってて驚き。
お手伝いをさせていただいている学部の授業の見学会で墨田区をまち歩き。
押上駅からスタートして、東京スカイツリーを建設現場~京島~向島と歩いて歩いての4時間。
面白すぎる!!
路地を曲がれば何か面白い長屋や空き地に出会うし、そもそもどうしてそんな路地や長屋や空き地といった空間が成立しているのかを先生に解説してもらえるのだから、テンションが上がってしまってしょうがない。
一応、授業嘱託という立場なのに大したお手伝いもせずに、学生と同じように勉強させてもらっている。申し訳ないな、と思いながらも楽しい時間を過ごしています。 今日は先生曰く「ダイジェスト版です」ということなので、そのうちにでも、また時間をかけてまち歩きをしよう。と思った。
以下、本日の見学写真の一部。
解説は省略。
2008年12月11日木曜日
プレヘレニック様式って習ったっけ?
プレヘレニック様式というものがあるらしい。建築の様式の話。
なんでも、プレ(以前)、ヘレニズム(ギリシア風)という意味で、つまりはギリシア様式以前の様式をプレヘレニック様式と呼んだらしい。「呼んだ」と過去形なのは、この名称が現在は正しくはないという学説があるから。
最近になり、女子美術大学教授勝又俊雄(かつまたとしお)先生により、この様式名が必ずしも正しくないことが指摘されました。先生の研究によりますと、ギリシア以前のエーゲ文明は、かつては神話世界の話で実在しなかったと考えられていました。ところが、シュリーマン(1822~90)がトロヤ、ミケーネなどを発掘したことにより、初めて実在が明らかになりました。エーゲ文明の研究は、その後大きく進展し、ギリシア文明以前にも新石器時代にまでさかのぼれる数千年に及ぶ様々な文明の歴史があり、各文明の栄えた地域や時代区分も詳細に分かってきました。そのため、現在では「プレヘレニック」の名称ではあまりにも漠然としすぎているのです。[via プレヘレニック様式]
このプレヘレニック様式というのは、日本人が名づけた名称で、その様式の建物というのは日本にしか無いということだ。
それが大倉山にある「大倉山記念館」。設計者は古典建築の第一人者の長野宇平治(ながのうへいじ、1867~1937)。彼が「プレヘレニック」の命名者。「大倉山記念館」は元来は「大倉精神文化研究所」の本館として建てられた、思想哲学の研究施設。製紙業を営み、東洋大学の学長も務めたことのある大倉邦彦が私財を投げ打って建設、維持管理してきた建築物。
長野宇平治はヨーロッパを旅行してまわった時にクレタやミケーネの遺跡発掘から明らかになったプレヘレニック様式を観て、大倉精神文化研究所の設計で直接再現したという。遺跡から様式を引用して現代に蘇らせたというのが、長野の凄かったところだ。なにせ、当時は西洋の模倣をするしかなかった時代に、模倣の精神を突き詰めた結果、図らずも西洋を越えた唯一の様式を模倣してしまったのだから。
・・・ということを、見学してから面白そうで調べ始めたら案の定面白すぎて止まらなくなってきたー!明日もあるし、他にもやることは沢山ある筈で、これはまずい。そろそろ止めとかなければ・・・。ちょっと建物見学をするつもりが、街の成り立ちや建築史に大きく関わりがあることが分かってきて凄く面白い建物だというのは確か。
しかし、長野宇平治ってwikiとかで調べると、日本建築史でも、もの凄く重要な人に思えるのだけれど、今ひとつ分からないことが多い。評伝とか研究書とか出ていないんだろうか?
ここまでつらつら書いてみたけど、結論としては、大倉山記念館に行く途中にあるTOTSZEN BAKER'S KITCHENというパン屋のあんパンがめちゃくちゃ美味っ☆なのだ。
[via 横浜市大倉山記念館見学用資料(未定稿) ]神話
いつも渋谷駅を利用していながら、まだ観に行っていなかったので、ちょっとだけ遠回りして観てきた。
芸術は爆発だ!というアフォリズムが有名で、単純で変人みたいに思われる岡本太郎だけれど、僕はけっこう好きだ。
「個人的に作品を売ることを拒否し、誰もが好きな時に作品を見られる」ことを重んじていた彼の作品の多くが路上や公園に置かれているように、岡本太郎はパブリックアートの先駆者だった。街を歩いていて本物のアートに出会うという体験は楽しくなる。彼の作品はアーティストを呼んでアートを置こうという、計画ありきのパブリックアートに見えないというのが親しまれ易い理由の一つなのではないかと思う。売ることを考えていないが故に、イスなどの一部の作品を除いては、一品しか存在しないし、作品のことごとくがとにかくでっかい。キレイでなくて、上手くも見えなくて、心地よくもないものが、巨大なスケールで街にあるというのは老若男女問わずインパクトが大きいだろう。景観の良し悪しとかの判断の前に、「で、でかい!」という感想が出てしまえば岡本太郎の勝ちなのだろうと思う。
「明日の神話」が岡本太郎の家のある渋谷に、それも駅という公共の空間に置かれたのは、きっと大正解だ。岡本敏子さんも喜んでるに違いない。
けれど、駅の蛍光灯に照らし出された「明日の神話」を観て、僕はメキシコの太陽の下にこの絵が置かれたら、どんなに強烈だったろうと思わずにいられない。
2008年12月10日水曜日
12月
気がつけば早12月。
当初予定していたよりも12月に入っても研究室にいることが多く、そういう意味では途切れることなく建築に関わっているのだけれど、実作を観に行ったり展覧会を観に行ったりというのが、ここ最近はめっきりと減ってしまっている。つまりは出不精なのだ。
で、最近は何しているかと言えば、「ゼロ年代」というキーワードが分からなかったので、ざっと社会学を読んでみたり、90年代の日本語ラップに今更はまっていたり、相変わらず地道に研究をしていたり、といった感じで、気持ちもリアルな(若しくは最新の)建築から離れて完全にインドア化してしまっている。(ここまで書いてて、建築雑誌を最近読んでいないというのが、原因なんじゃないか?と思った。よし、読もう!)
そんなインドア化の状況に少し危機感を感じて、帰り道に代官山で下車して、ヒルサイドフォーラムで開催している「ヨーロッパ・アジア・パシフィック建築の新潮流2008-2010」に行ってきた。
展示の解説も限られているし、プレゼンテーションも決して十分なスペースが与えられているわけではない、海外の建築家だとテキスト訳も違和感を感じた。そうなると背景やコンセプトの理解よりも、プレゼンテーションや模型が面白そうなのを中心に、自分なりに解釈してしまうという見方になる。その点では、カタログ的なプレゼンに徹していた藤本壮介は、日本にいて作品の大半を既に知っている自分でも改めて楽しめた。海外では、タイやトルコの建築が魅力的だった。スペインのIzaskun Chinchillaのキャラクターを押し出したプレゼンテーションも独特で参考になる。
展覧会ではカタログ的に興味をもった建築家を見つけて、後でサイトを探してより深くプロジェクトを見てみる。そういう見方がこの展覧会では正しいんだろうな。復習が大事といった教訓を得た展覧会だった。
2008年12月8日月曜日
2008年11月23日日曜日
閉鎖直後の東急東横線桜木町駅
[ozrosaurus/on and on]
東横線「横浜~桜木町間」高架と旧桜木町駅の活用方針
方針では、高架下・壁面・駅舎の約1.2キロのエリアを、横浜の都心臨海部を文化芸術により活性化する「ナショナルアートパーク」の一翼を担う場としてとらえ、旧高島町駅周辺の高架下には、個性ある店舗・ギャラリー・アトリエなど集客性のある施設の設置や、市営地下鉄高島町駅をみなとみらい方面につなぐ出入り口の設置を検討。紅葉坂周辺には、遊歩道と、県立音楽堂や横浜能楽堂などがある紅葉坂エリアを繋ぐ歩道橋や、みなとみらいゲートの設置の可能性を今後具体的に検討する。
[via ヨコハマ経済新聞]
発表は既に1月にされているので、今更な情報ですが。
象の鼻、北中地区、そして根岸線の高架の再開発が重なると、随分雰囲気が変わる気がします。
横浜駅で降りても何も楽しくないヨコハマから、とりあえずヨコハマで降りて関内くらいまでぶらぶら歩くのも良いね、という印象に変わるのかもしれません。
で、上の動画は横浜のヒーロー、ozrosaurusのPV。
僕が知っている限りでは、東横線の桜木町駅が閉鎖した2ヶ月後くらいに撮影されて、当時のままのホームや線路が撮られた映像。ロケしている所を通りかかった当時、さすがozroと思ったものです。
ちらっと大原隧道とかも映っているあたりが、格好良い。
寄り道の楽しみとすすめ
[4hero/morning child]
4heroを初めて聞いたのは高3。中古のCD屋さんで「two pages」を買ったのがきっかけだった。
僕の受験期(途中で脱線したけれど)は、4heroとsoulscream、それとMarvin Gayeしか耳に入っていなかったと言って良い。昔も今も興味の範囲は凄く狭いのだ。
大学3年の頃に4heroが6年振りくらいにアルバムを出して、僕は横浜の新星堂の視聴機の前で、そのオープニングにやられてしまったんだ。
それからCDを買うまで数週間、そのオープニングの30秒あまりを聞くために帰り道にCD屋さんに寄り道していた。いま思えば、どうしてすぐに買ってしまわなかったのか謎だけれど、いつでも聞けることで感動が薄れてしまうのが嫌だったのかもしれない。
そういう感覚に最近は出会ってないな。時間があるときは、なるべく寄り道しよう。
ということを朝にこの曲を聴いて思っていたのです。
2008年11月22日土曜日
2008年11月20日木曜日
2008年11月18日火曜日
2008年11月11日火曜日
aruitemo
●監督・原作・脚本・編集/是枝裕和 出演/阿部寛、夏川結衣、YOU、高橋和也、田中祥平、樹木希林、原田芳雄
久しぶりにギンレイホールにて観賞。
ある映画を思い出す時に、その作品の内容がどうだったかというだけでなく、どこで観たのかということが結構重要だと感じているのだけれど、この映画に関してはギンレイで観て良かったと思った。
ハンバーガーやお菓子を食べる音、ビールの缶を開ける音、笑い声やすすり泣く音。映画を楽しむなら邪魔になってしまうような音だけれど、それが不快どころか、心強く感じることもある。
家族を描いた作品だからこそ、一つの空間でさまざまな人が勝手に笑ったり泣いたりするのを感じて、理解が深まった気になった。
数ヶ月振りに観に来たのに、いつも「また来なよ」とスタッフさんが帰り際に言ってくれるのが、純粋に嬉しい。
2008年11月3日月曜日
黄金町バザール
横浜トリエンナーレに行った際に行くことができなかった黄金町バザールへサイクリング。
京急線の日ノ出町駅から黄金町駅にかけてのガード下は、かつて特殊飲食店が建ち並んでいた地域。現在も建物の多くは残っているけれど、その多くはもはや営業はしていない。
2005年の横浜開港150周年の頃に、集中的に浄化、摘発が行われ、空き店舗の一部はバーになったりアーティストのスタジオになったり。
黄金町バザールは京急線のガード下の空間にスタジオを建設し、アーティスト、ショップが入居して行われるイベント。
「日の出スタジオ」と「黄金スタジオ」の2つのスタジオが建設されていて、「日の出スタジオ」は横浜国立大学大学院の学生と教授の飯田善彦の設計。「黄金スタジオ」は神奈川大学工学部の学生と「みかんぐみ」の曽我部昌史の設計。
黄金町バザールと、黄金町周辺の再生への取組みの大まかな経緯は以下。
・ヨコハマ経済新聞
「黄金町バザール」から広がるまちづくり <br />地元住民、大学、横浜市が目指す街のルネッサンス(2008-11-01)
かつての風俗エリアも今は昔… <br />再生へ向け動き始めた黄金町の「現在」(2006-12-06)
いまでも、警察が24時間の巡回を行っているし、看板がそのままの特殊飲食店が軒を連ねているのを見ると、少し複雑な気持ちにもなります。アートによって、地域のイメージアップはここ数年で大幅に進んだ感覚は強く持ちます。
けれど、このまま撲滅を進めた結果、地域の負の記憶を消し去ってしまっては欲しくない。いつか、この負の記憶を笑い、アートや遺産として昇華できる街であって欲しいと願います。
2008年11月2日日曜日
サイクリング
自転車を整備している。先週、がっつりと洗車してオイルの切れた箇所や、消耗した部品のチェックをした。積もった埃やこびりついたオイルを落としていく作業に熱中する。
これから徐々にパーツを揃えて交換していこう。
せっかく整備をしたのだから、定期的に乗らないとまた埃をかぶってしまうので、数日おきに、ちょっとしたサイクリングをしている。自分の生活圏を再確認し、時には見落としていた穴を埋めていく街走りは、久々に楽しい。
大原隧道。土木学会の歴史遺産に認定されている隧道(トンネル)は、ちょくちょくテレビやPVのロケでも見かける。人が3人くらいしか通れない歩行者専用トンネルで、元々は関東大震災後に建設された浄水道。
大原隧道の真上は清水丘公園で、こちらの丘もドラマや映画などに使われているとのこと。行ってみると結構こじんまりとした普通の公園です。周りは住宅地なのに、ロケハンする人達はこういう場所をよく見つけるもんだと関心します。
伊勢崎町のモダニズム建築。不二家ビル。
アントニン・レーモンド設計と言われなければ、全く気づかずに通り過ぎてしまいがち。よく見ると、立面の構成とか、屋根の形が格好良くて、この街で好きな建築の一つ。映画を観に行くときによく眺めます
もう一つ、「同世代の橋」というコンセプトの大好きなポストモダニズムの建築もあるのだけれど、それはまたの機会に。
2008年10月25日土曜日
北への憧憬
「広東語BEAT IT」というネタのシーンだけ3度観て家を出る。
雨でバスが遅れ、半蔵門線も遅れる。
ぎりぎりでレポートを送信して、東大へ。雨は朝よりも強まっている。
東大で4年生の卒論の打合せを聞かせてもらう。
一先ず安心。
終えると雨が止んでいた。でも雲は晴れない。
さふらんで初めてドライカレー。僕一人のカウンター。おばちゃんのカレーは絶品。
夜、一時期を北海道で過ごした友人と北海道について話す。
また北海道へ行きたくなる。
自転車の整備から始めて、北海道に備えようと、こっそり企む。
ブレーキレバーとバーテープとタイヤ交換をすれば随分快適になるはずだ。
あと、余ってる灯油を使ってギヤも洗わなくては。
また、その人が茨城出身だということを知り、水戸についても話す。
自転車の整備をして、走り馴らしたら偕楽園へ旅するのもいいな、と思う。
2008年10月18日土曜日
旧朝倉家(旧渋谷会議所)へ
久々に代官山へ寄る機会があったので、前々から行きたかった旧朝倉家を見学。ヒルサイドテラスの裏側にある邸宅。
東京府会議員だった朝倉虎治郎の自宅として1919年に建設され、近年は経済企画庁(現内閣府)の渋谷会議所として使われてきたという。2004年には国の重要文化財に指定されており、改修、復元を経て、渋谷区の管理の下に一般公開されている。
ヒルサイドテラスアネックスA棟を裏側から。
<参照>
[シブヤ経済新聞[代官山・猿楽町の重要文化財「旧朝倉家住宅」が初の一般公開]]
ウダウダ
そんなわけでこの間のコントをニコニコ動画にアップしました
とのお知らせ。
ビデオカメラを調達できなかった関係で、制作さんの私物ノートPCの本体に付属しているwebカメラをむりくり使って撮影しているので画質はあまり良くないです。
最後列の臨場感を体感ください。
ちなみに、僕が学ランを来ているシーンのキャラクターの名前は『出来杉手酢まんじろう先輩』といいます。ずっと「酢まんじろう」が名前だと思っていたら、「まんじろう」だったらしい。苗字が「出来杉手酢」って・・・。
僕の中での、今年のベストネーミング。
2008年10月16日木曜日
xtc
1980年のアルバムなのに、何だか時代不明な感じが面白くて、毎日聞きながら学校へ通っていた。てっきり、誰かに貸したっきりになったと思っていたので、懐かしさも一入。とりあえず、こいつをリッピングして、プレイヤーに突っ込み、聴きながら近所をジョギング。
最近、というか青山真治の北九州サーガと呼ばれる映画を昨年見て、彼の小説もあらかた読破してから、中上健次を読んでいる。というのも、青山真治が作品やインタビューの中で中上健次の影響について触れることが多いから興味から読み始めたのだけれど、読んでみると彼が自らの血や生地への拘りというか、抜け出すことのできない対象として対峙する姿勢というのは圧倒的だ。中上健次が紀州熊野新宮の「路地」という土地に固執するのは、単なる故郷への愛執とは違う。「路地」に生まれて、外部から再接近していく中上の視点や葛藤から今の僕が感じて学ぶべき所は多いだろう。自分にとっての横浜を見る眼が大学で変化したのと似ている。それを客観的に中上を通して追体験したいのだけれど。
中上健次について、今のところ読んだのは随筆が中心で、肝心の「枯木灘」や「岬」といった読むべき小説は読めていない。随筆に触れてから、なるべく後回しにしようと思っている。これはちゃんとテキストに触れる事を避けようとする気持ちの弱さなのかもしれない。
とにかく、これからも読み続けようと思う。そして、来年は熊野大学のセミナーへ参加したい。
2008年10月7日火曜日
トリエンナーレ
「トリエンナーレに行きたい」と入れた、つぶやきを拾ってくれる人もいるもので、一緒にみなとみらいへ。
前回のトリエンナーレと同じ気分で、とりあえず山下公園へ行ったものの、アート関係のものは何も無く、コンテナがあるばかり。
今回はメイン会場が新港ピア、バンクアート、赤レンガ倉庫と分散しているのでした。
赤レンガ倉庫では主にメディア系のアートが多い。暗黒舞踏の創始者である土方巽の「肉体の叛乱」の上演映像に感激。僕らも高校時代から公演をやらせて頂いていた『横浜一番小さな劇場』ST-spot出身の「チェルフィッチュ」の舞台「フリータイム」を観る事ができたのは思わぬ出会いでテンションが上がる。
赤レンガ倉庫では、R15指定の作品が多かったのが印象的。
田中泯の場踊りを記録した映像を展示する庵も、良い具合に朽ちていて泥臭さが良かった。
新港ピアの会場構成は西沢建築事務所
赤レンガ倉庫と日本郵船海岸通倉庫 (BankART Studio NYK)は日埜建築設計事務所が会場構成。
トリエンナーレを観終わって、伊勢佐木町の松坂屋へ。
松坂屋は10月で閉店してしまう。横浜市の歴史建造物にも指定されているアールデコ調の装飾の施された建築だ。
そして、ゆずがライブをしていた場所としても有名。
松坂屋が閉店を前に、店内の撮影会を実施しているというのでデジカメを片手に店内探検をした。
[via ヨコハマ経済新聞「歴史的建造物「横浜松坂屋」が閉店を前に店内撮影会」]
エスカレーターの側面もアールデコ調で装飾されています。
最近は、透明にした側面も見ますが装飾はあまり見ないので面白い。
エレベーターの階数表示板も装飾的。
昨年に解体された日劇シネマの壁画もあった。
前日に濱マイクを見直していたので、テンション高く見学できた。