2009年11月18日水曜日

LIIIB


某県某市に↑を探しに。
由縁を知る人は居なくとも、住み続けられている。
それはそうと、アンテナがめっちゃ長い。

2009年11月10日火曜日

赤い赤いふーせん


飯田橋ラムラにて、ギンレイホールの野外上映会を鑑賞。
作品は「赤い風船」。日替わりで「白い馬」も上映している。
昔のギンレイで使っていたという古い映写機を実際に見ることができて感動した。聞けば昭和20年代製造とのこと。
そして野外で観る「赤い風船」にも。一人で見ていたら帰りに風船セットを買いかねない程に風船に感情移入。只の風船なのに夢中にさせる技が見事。

写真は上映前の映画シーンのスライドショー風景。

2009年11月7日土曜日

にょきっと立つLIKE銭湯のエントツ

古い映画ならお化け煙突を映した「煙突の見える場所」。
煙突の見える場所 [DVD]
( Wikimedia Commons:千住火力発電所(お化け煙突)

ちょっと前に見たのだと「ランドリー」のガスタンク。
Laundry [ランドリー] [DVD]
(photo by:mitimasu)

別に銭湯の煙突でも何でも良いけれど、個々人の生活風景の中で象徴となるような構築物というのが各々あるもんです。
煙突やガスタンクは巨大なインフラ施設だからこそ、そこに人々の生活が投影され風俗を描くのに適しているのかもしれない。タワービルやマンションは多くの人の生活を内包しているが為に、ランドマークにはなっても風俗を象徴するにはいま一歩足りないように思います。


それはさておき、僕にとっての象徴的な構築物はアンテナ施設だ。家から歩いて5分くらいの所にあるNTT無線中継所は、我が町を感じさせてくれる拠所である。

雑誌『電電建築資料』1976年2月号によると、仏向無線中継所はNTT(旧電電公社)で初めて試作した鉄筋コンクリート造無線塔(コンクリートタワー)だという。それまでに1300塔余り建設された無線施設は、下部がRCで事務所となっているものはあるが、塔部分はみな鉄塔であった。

(参照)
-そこに鉄塔がある-
http://www.asahi-net.or.jp/~js4m-isgi/tettou/t_menu_fl.htm

公社のアンテナ搭載施設は戦前のごく一部の短波用のものを除いて、ほとんどが鋼製(鉄塔)であった。鉄は他の材料に比べ安価で、強く、比較的軽いことから塔の高さを節約するために屋上に設置するのに適した材料であった。しかし、鉄塔は都市内に建てる場合は近代技術の象徴としてそれなりにふさわしいが、都市周辺の住宅地や公園内のような、いわば人間の憩の場にある場合は必ずしも環境に適合しない面があった。しかるに都市の高層化、伝送量の増大に伴い、大都市周辺に建設される事例が今後ますます増加する傾向にあることから鋼製タワーにかわる地域環境調和型のアンテナタワーを開発することは当面の大きな課題となってきていた。(出典:雑誌『電電建築資料』1976年2月号)


同時代、既にヨーロッパには鉄筋コンクリート造の超高塔状構造物、つまりコンクリートタワーが建設されていた。仏向無線中継所が計画されたのは、海外の先例が初期の機能を優先した試行錯誤の時期を経て、ロンドンやストックホルムで環境調和を意識したデザイン面で優れた事例が出始めた頃に当たる。
■ストックホルム  Kaknäs Tower
kaknastornet
■ロンドン The Post Office Tower
The Post Office Tower, London.
こんなのね。
これら海外の事例では、デザインだけでなく展望室やレストランを設けることで地域住民に受け入れられる工夫をしている。だからこそ、都市部や公園に建設することができて、現在も人々に親しまれているわけだ。


仏向無線中継所がコンクリートタワーとなったのも、そんな時代背景に併せて、周辺の風致地区という環境に配慮した結果だ。但し、こちらは展望室やレストランといった施設は付帯されていない。なにしろ当時は周辺の住宅地開発も進んでおらず、その必要性はなかったのだ。自然が多く残る丘陵地で、100m超の建造物を如何に環境に馴染ませるかが課題であり、海外に負けないコンクリートタワーの技術開発への意欲も高まっていたのだろう。

■スリップフォーム工法
コンクリート造の搭状構造物は、スリップフォーム工法の考案で超大型煙突やサイロなどの築造を対象に、良質のコンクリートを短時間で打設する技術の開発が始められたものである。この技術を無線塔に利用する場合、水平方向に張り出すプラットホームなどをどのような方法で取り付けるかが問題であり、仏向にはじまる5基の無線塔では、この点の解決に向けて大きな努力が払われてきた。
コンクリートによる無線塔の実施が可能になった背景の一つとして、ある程度塔の規模が大きくなると、コスト的にも不利でなくなってきた点が挙げられる。コンクリート造無線塔では単なる高さ当たりのコスト比較だけでなく、保守性や完全性など質的な多くの優位性をも含めて検討するべきであると考えられた。コンクリート造無線塔は計画や構造・施工面での技術の蓄積と研究により、内容の充実を図るとともにコストの低減も可能であると考えられた。(via:NTT技術史料館[スリップフォーム工法])


このスリップフォーム工法で、継ぎ目無く強度のあるタワーができた。

~従ってこの地域に建つ無線塔は周囲の景観を支配することになるので、なるべく周囲になじんだ違和感のないものにしたいと考えた。(中略)
コンクリートタワーは形態も単純となるうえ、コンクリートのもつ質感が周囲の緑と調和し、地域環境に素直に受け入れられるのではないかと判断した。(出典:雑誌『電電建築資料』1976年2月号)


ガチガチのモダニスト集団だと勝手にイメージしていた電電公社建築部が、70年代に景観や環境の調和を意図して無線塔を計画していたことは、とても面白い。

1970年代当時、吉田鉄郎や山田守といった逓信省建築を継承して独自の様式を打ち立てていく郵政省とは異なり、電電公社は標準設計室を設置して、徹底した合理化を推し進め建築構法計画の面では有数の組織だった。
1940年代に逓信省が郵政、電通省(後の電電)へと枝分かれする際、郵政には吉田や山田を慕う古株を中心とした職員が残り、電通側に若手が進む傾向があったという。その頃、内田祥哉や高橋靗一が電通省の若手職員として在籍していた。

仏向と同時期、コンクリートタワーは無線塔は青森、北海道にも計画されており、最終的に5基のタワーが建設されたという。(NTT技術史料館より)
行く機会があれば探してみようと思う。



NTT仏向無線中継所
敷地面積:5,109.8㎡
<局舎>
構造・規模 鉄筋コンクリート造2階建て
建築面積:1,447.8㎡
延面積:2,701.4㎡
<無線塔>
高さ:103.15m (最高:112.15m)
塔身構造:鉄筋コンクリート造、一部鉄骨造
彰鉄塔:鋼管造
プラットホーム:鉄骨造8段
塔身内部:鋼製階段、導波管受梯子
工期:着工 昭和48年12月
   完成 昭和50年12月

こりん


(出典:雑誌「建築界」1954年8月号)

日本再上陸を目指して準備されていることは知っていたけれど、復活していたんですね。やったー。
倒産前に手にする機会はあった筈だけれど、僕はトンボかバトルエンピツしか使った事がない。中学ではシャープペンシルが解禁になるし、美術部に入っても不良に校庭で焼いてもらった炭とか使ってて結局、鉛筆は殆ど持たなかったしね。
さいきんになって、資料漁りしていると必ず三角顔のコーリンさんの広告が目について妙に気になっていたので、是非とも手にして使ってみたい!

他にも50年代の建築文化等に載っているヨット鉛筆や、ヘンミ計算尺の広告が僕はとても好きだ。
80年代だと長谷工とか、時代を感じるデザインの広告を打っていて面白いと思う。キッチンや浴槽メーカーに妙にセクシーな広告もあったり、良く分からないコピーの建材メーカーがあったりして楽しい。


株式会社コーリン色鉛筆 正式発足のご挨拶
1947年、東京の下町でコーリン鉛筆は生まれました。60年の年月が流れ、1997年に倒産し国内での生産は終了してしまいましたが、現在はタイに「コーリン鉛筆タイランド」として生まれ変わり、コーリンのブランドを守り続けています。
2007年、株式会社コーリン色鉛筆準備室を東京都墨田区に設立。日本に再上陸するにあたり、色芯専門の工場をタイに立ち上げました。2008年夏には ISOT/国際文具・紙製品展に出展。コーリンブランド復活ののろしをあげ、お陰さまで多方面の皆さまより大きな大きなご声援を頂戴いたしました。
そして、2009年9月17日、コーリン色鉛筆は法人化を果たし、晴れて株式会社コーリン色鉛筆としての活動を始めることとなりました。(以下略)
(via:株式会社コーリン色鉛筆“株式会社コーリン色鉛筆 正式発足のご挨拶”


コーリン復活に至る経緯は以下のコラムでちょっと詳しい。
-ITpro「コーリン鉛筆でわしも考えた」-
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080714/310724/?ST=management&P=1

新生コーリン鉛筆のwebには2.0の文字が…。
COLLEEN2.0、楽しみだ。


都市伝説級のキャラクター「通称:コーリンさん」

(出典:雑誌「建築界」1954年8月号)

もうすぐ空地に


仏向団地の第三期の解体が始まってる。
このあいだ写真撮りに行っておいて良かった。



電線に喰い込んだ枝の跡に、改めて築47年(だったはず?)の歳月を感じる。