2009年12月27日日曜日

冬のつがる


この二年で野毛山住宅の姿も大きく変わった。
かつて在ったスターハウスの痕跡は無いけれど、明治時代からの緻密な石垣は未だに綺麗に残っている。もしかしたら灯篭なんかも残っているのかもしれない。

野毛山の石垣に触れ、急な坂を駆け上がって野毛山動物園へ。
年末、クリスマスを過ぎると野毛山動物園に行くという個人行事を高校時代から継続している。

あまり同意を得られないが、冬の動物園は良い。

「めっちゃ寒い~!」という一点だけでも、動物と心が通い合う気がする。

柳宗理による歩道橋とサイン。




今年もラクダのつがるさんに会えて良かった。

東京新聞:長生きしてね、つがるさん 野毛山動物園 国内最高齢ラクダが34歳に

2009年12月19日土曜日

LIKE 小原庄助さん

朝、母親の口ずさむうろ覚え会津磐梯山を聴きながら朝食。

「小原庄助さん
なんで身上つぶした
朝寝 朝酒 朝湯)が大好きで
それで身上つぶした
もっともだァ~ もっともだァ~」



朝から気分が良くないので、そそくさと大学へ向かうことにしたけれど、そもそも気が進まないので各駅停車でのんびりと向かうことに。
ぼんやりと高田文夫の「江戸前で笑いたい 」を読む。
江戸前で笑いたい―志ん生からビートたけしへ (中公文庫)

無邪気に人が人に惚れ込むその語り口調が快く、少し気分が良くなる。


「落語とは、人間の業の肯定である」


立川談志の有名なアフォリズム。こんなにも短く優しい言葉を書かれてしまったら、そりゃ惚れ込んで付いていく弟子の気持ちも分かるよなぁ、と思った時にふと顔を上げると綱島駅。
そういえば、団鬼六のエッセイで綱島が出てきたのがあったはず…。
業肯定スタイルで途中下車ぶらり。


10分後、僕は爺さんに囲まれて綱島温泉に入浴していた。


創業昭和21年という綱島温泉東京園。林のような中庭に面した明るい大広間の静けさと対照的に、浴場は沢山の爺さんが賑やかに入浴している。
一人静かに電気風呂に浸かっているお爺さんもいる。しかし、20分以上微動だにしなかった電気風呂お爺さんは、あれは大丈夫なんだろうかね。日課が充電?の爺さんなんだろうか。

底が見えない位の黒湯に鮮やかなタイル絵、天井はとても高いのに、女湯との仕切りはめちゃくちゃ低い。




健康な建築ってこういう事なんだろうか、きっとそうじゃないよなぁ。

地震なのか湯あたりなのか分からない感じで、研究室へ向かう。

朝寝、朝湯はしたけれど、まだ朝酒はしていない。
朝コークだ。

もちろん身上潰さない保証なんてないけれど。

2009年12月15日火曜日

アガってる?

こんにちわ。


「ねえ・・・、アガってる?」

「アガってねええよぉっ!!」



でお馴染みのUDATSUが正月に公演をやることになりました。

残念ながら僕は本公演に出演することは出来ません。(出演するとマジでうだつがあがらないことに、やっと気付きました。)


それはともかく、相変わらずくだら無さばかり志向する芝居をやりそうで羨ましいです。僕もいつか舞台上で逮捕されるような企画をやりたい・・・。


クリスマスも、正月にも脇目を振らないヤリたがりなUDATSUメンバーを良かったら観に来て下さい。





UDATSU第7回目。

オムニバスショートコント

『珍小芝居』



まだまだ正月気分を抜きたくない、


そんな貴方と私の儚くもくだらないショートコント


童心にかえって楽しんだ者勝ち 


あと魔王


ちんこしばい:江戸時代から明治初年まで行われた子ども芝居。
       別にエロいわけではない。



T タイムテーブル T
2010年1月7日(木)・8日(金)

7日(木)15:00/19:00
8日(金)14:00/18:00




Y やる場所 B

千本桜ホール
東急東横線 学芸大学駅西口 徒歩1分


C チケット料金 P

前売・当日共に2,000円


○ オリジナル割引 W

世の中に学生割引、レディースディなど数あれど
そんな無個性な割引でいいのであろうか、
いや良くない。
UDATSUバージン割引、
オバマとメル友割引、
サザエさんのEDのジャンケンで3連勝してきた割引、
「北島マヤ…恐ろしい子!!」割引などなど


なんでもOK!!


面白い割引を考えた各ステージ3名様


なんと10割引!!(要するに無料)


君の考えたオリジナル割引で楽しく観劇してみちゃ☆おう♪

当日受付にて、どんな割引かをお伝えください。
(当選者は劇中にて発表&キャッシュバック)


正月ボケキャスト
中野架奈
石戸サダヨシ(CONTROL)
内村智征(劇団リベラトリックス)
佐藤李発
安見謙一郎

松井Kはうだつがあがってしまったため、本公演の出演が出来なくなってしまいました。ご了承ください。

ざんねんな作・演出
安見謙一郎

たよれる製作協力
潮田塁(猫ノ手)




<前回の舞台写真>




2009年12月8日火曜日

口いっぱいのインド

図書館巡りで外出したので、ワタリウムに足をのばして手帳を買って、ついでにバラガン展を冷やかして、スターハウスを見に行って。



久しぶりに行った喫茶店で早速ちょこちょこ来年の予定を書いていたら、マスターからカルダモンを10粒程も貰った。カレーやチャイによく入っている香辛料。最近テレビで効能が紹介されて、一時は品切れだったそうだ。集中力が増すとかで、受験生の親御さんが買占めたりしたという。更にマスターみたいに勧めたがりの人が買占めに走るんだろうね。



カルダモンを噛みながら、帰路、ヴィヨンの妻を読了。舌が痺れたけれど、集中力は?。。

ヴィヨンの妻・桜桃・他八篇 (岩波文庫)

帰宅後は談志の芝浜を流し放しで。ここ2週間ほど、3日に一回のペースで繰り返しyoutubeで再生している。何度観ても飽きない膨大なディティールの芸。枕だと思っていたものが枕でなくて、既に本題に入っている導入からして、もうね、何度も観てしまう。
ちょっとアルコールが入って油断している時には圧倒されて、知らず涙が出る。



師走に合わせて、偶然に年末が舞台の作品を続けて観ていた。一年の短さを再確認。

2009年11月18日水曜日

LIIIB


某県某市に↑を探しに。
由縁を知る人は居なくとも、住み続けられている。
それはそうと、アンテナがめっちゃ長い。

2009年11月10日火曜日

赤い赤いふーせん


飯田橋ラムラにて、ギンレイホールの野外上映会を鑑賞。
作品は「赤い風船」。日替わりで「白い馬」も上映している。
昔のギンレイで使っていたという古い映写機を実際に見ることができて感動した。聞けば昭和20年代製造とのこと。
そして野外で観る「赤い風船」にも。一人で見ていたら帰りに風船セットを買いかねない程に風船に感情移入。只の風船なのに夢中にさせる技が見事。

写真は上映前の映画シーンのスライドショー風景。

2009年11月7日土曜日

にょきっと立つLIKE銭湯のエントツ

古い映画ならお化け煙突を映した「煙突の見える場所」。
煙突の見える場所 [DVD]
( Wikimedia Commons:千住火力発電所(お化け煙突)

ちょっと前に見たのだと「ランドリー」のガスタンク。
Laundry [ランドリー] [DVD]
(photo by:mitimasu)

別に銭湯の煙突でも何でも良いけれど、個々人の生活風景の中で象徴となるような構築物というのが各々あるもんです。
煙突やガスタンクは巨大なインフラ施設だからこそ、そこに人々の生活が投影され風俗を描くのに適しているのかもしれない。タワービルやマンションは多くの人の生活を内包しているが為に、ランドマークにはなっても風俗を象徴するにはいま一歩足りないように思います。


それはさておき、僕にとっての象徴的な構築物はアンテナ施設だ。家から歩いて5分くらいの所にあるNTT無線中継所は、我が町を感じさせてくれる拠所である。

雑誌『電電建築資料』1976年2月号によると、仏向無線中継所はNTT(旧電電公社)で初めて試作した鉄筋コンクリート造無線塔(コンクリートタワー)だという。それまでに1300塔余り建設された無線施設は、下部がRCで事務所となっているものはあるが、塔部分はみな鉄塔であった。

(参照)
-そこに鉄塔がある-
http://www.asahi-net.or.jp/~js4m-isgi/tettou/t_menu_fl.htm

公社のアンテナ搭載施設は戦前のごく一部の短波用のものを除いて、ほとんどが鋼製(鉄塔)であった。鉄は他の材料に比べ安価で、強く、比較的軽いことから塔の高さを節約するために屋上に設置するのに適した材料であった。しかし、鉄塔は都市内に建てる場合は近代技術の象徴としてそれなりにふさわしいが、都市周辺の住宅地や公園内のような、いわば人間の憩の場にある場合は必ずしも環境に適合しない面があった。しかるに都市の高層化、伝送量の増大に伴い、大都市周辺に建設される事例が今後ますます増加する傾向にあることから鋼製タワーにかわる地域環境調和型のアンテナタワーを開発することは当面の大きな課題となってきていた。(出典:雑誌『電電建築資料』1976年2月号)


同時代、既にヨーロッパには鉄筋コンクリート造の超高塔状構造物、つまりコンクリートタワーが建設されていた。仏向無線中継所が計画されたのは、海外の先例が初期の機能を優先した試行錯誤の時期を経て、ロンドンやストックホルムで環境調和を意識したデザイン面で優れた事例が出始めた頃に当たる。
■ストックホルム  Kaknäs Tower
kaknastornet
■ロンドン The Post Office Tower
The Post Office Tower, London.
こんなのね。
これら海外の事例では、デザインだけでなく展望室やレストランを設けることで地域住民に受け入れられる工夫をしている。だからこそ、都市部や公園に建設することができて、現在も人々に親しまれているわけだ。


仏向無線中継所がコンクリートタワーとなったのも、そんな時代背景に併せて、周辺の風致地区という環境に配慮した結果だ。但し、こちらは展望室やレストランといった施設は付帯されていない。なにしろ当時は周辺の住宅地開発も進んでおらず、その必要性はなかったのだ。自然が多く残る丘陵地で、100m超の建造物を如何に環境に馴染ませるかが課題であり、海外に負けないコンクリートタワーの技術開発への意欲も高まっていたのだろう。

■スリップフォーム工法
コンクリート造の搭状構造物は、スリップフォーム工法の考案で超大型煙突やサイロなどの築造を対象に、良質のコンクリートを短時間で打設する技術の開発が始められたものである。この技術を無線塔に利用する場合、水平方向に張り出すプラットホームなどをどのような方法で取り付けるかが問題であり、仏向にはじまる5基の無線塔では、この点の解決に向けて大きな努力が払われてきた。
コンクリートによる無線塔の実施が可能になった背景の一つとして、ある程度塔の規模が大きくなると、コスト的にも不利でなくなってきた点が挙げられる。コンクリート造無線塔では単なる高さ当たりのコスト比較だけでなく、保守性や完全性など質的な多くの優位性をも含めて検討するべきであると考えられた。コンクリート造無線塔は計画や構造・施工面での技術の蓄積と研究により、内容の充実を図るとともにコストの低減も可能であると考えられた。(via:NTT技術史料館[スリップフォーム工法])


このスリップフォーム工法で、継ぎ目無く強度のあるタワーができた。

~従ってこの地域に建つ無線塔は周囲の景観を支配することになるので、なるべく周囲になじんだ違和感のないものにしたいと考えた。(中略)
コンクリートタワーは形態も単純となるうえ、コンクリートのもつ質感が周囲の緑と調和し、地域環境に素直に受け入れられるのではないかと判断した。(出典:雑誌『電電建築資料』1976年2月号)


ガチガチのモダニスト集団だと勝手にイメージしていた電電公社建築部が、70年代に景観や環境の調和を意図して無線塔を計画していたことは、とても面白い。

1970年代当時、吉田鉄郎や山田守といった逓信省建築を継承して独自の様式を打ち立てていく郵政省とは異なり、電電公社は標準設計室を設置して、徹底した合理化を推し進め建築構法計画の面では有数の組織だった。
1940年代に逓信省が郵政、電通省(後の電電)へと枝分かれする際、郵政には吉田や山田を慕う古株を中心とした職員が残り、電通側に若手が進む傾向があったという。その頃、内田祥哉や高橋靗一が電通省の若手職員として在籍していた。

仏向と同時期、コンクリートタワーは無線塔は青森、北海道にも計画されており、最終的に5基のタワーが建設されたという。(NTT技術史料館より)
行く機会があれば探してみようと思う。



NTT仏向無線中継所
敷地面積:5,109.8㎡
<局舎>
構造・規模 鉄筋コンクリート造2階建て
建築面積:1,447.8㎡
延面積:2,701.4㎡
<無線塔>
高さ:103.15m (最高:112.15m)
塔身構造:鉄筋コンクリート造、一部鉄骨造
彰鉄塔:鋼管造
プラットホーム:鉄骨造8段
塔身内部:鋼製階段、導波管受梯子
工期:着工 昭和48年12月
   完成 昭和50年12月

こりん


(出典:雑誌「建築界」1954年8月号)

日本再上陸を目指して準備されていることは知っていたけれど、復活していたんですね。やったー。
倒産前に手にする機会はあった筈だけれど、僕はトンボかバトルエンピツしか使った事がない。中学ではシャープペンシルが解禁になるし、美術部に入っても不良に校庭で焼いてもらった炭とか使ってて結局、鉛筆は殆ど持たなかったしね。
さいきんになって、資料漁りしていると必ず三角顔のコーリンさんの広告が目について妙に気になっていたので、是非とも手にして使ってみたい!

他にも50年代の建築文化等に載っているヨット鉛筆や、ヘンミ計算尺の広告が僕はとても好きだ。
80年代だと長谷工とか、時代を感じるデザインの広告を打っていて面白いと思う。キッチンや浴槽メーカーに妙にセクシーな広告もあったり、良く分からないコピーの建材メーカーがあったりして楽しい。


株式会社コーリン色鉛筆 正式発足のご挨拶
1947年、東京の下町でコーリン鉛筆は生まれました。60年の年月が流れ、1997年に倒産し国内での生産は終了してしまいましたが、現在はタイに「コーリン鉛筆タイランド」として生まれ変わり、コーリンのブランドを守り続けています。
2007年、株式会社コーリン色鉛筆準備室を東京都墨田区に設立。日本に再上陸するにあたり、色芯専門の工場をタイに立ち上げました。2008年夏には ISOT/国際文具・紙製品展に出展。コーリンブランド復活ののろしをあげ、お陰さまで多方面の皆さまより大きな大きなご声援を頂戴いたしました。
そして、2009年9月17日、コーリン色鉛筆は法人化を果たし、晴れて株式会社コーリン色鉛筆としての活動を始めることとなりました。(以下略)
(via:株式会社コーリン色鉛筆“株式会社コーリン色鉛筆 正式発足のご挨拶”


コーリン復活に至る経緯は以下のコラムでちょっと詳しい。
-ITpro「コーリン鉛筆でわしも考えた」-
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080714/310724/?ST=management&P=1

新生コーリン鉛筆のwebには2.0の文字が…。
COLLEEN2.0、楽しみだ。


都市伝説級のキャラクター「通称:コーリンさん」

(出典:雑誌「建築界」1954年8月号)

もうすぐ空地に


仏向団地の第三期の解体が始まってる。
このあいだ写真撮りに行っておいて良かった。



電線に喰い込んだ枝の跡に、改めて築47年(だったはず?)の歳月を感じる。

2009年10月24日土曜日

桑野ビルについて覚書

半年ほど前の就職活動中、新宿に来る事が度々あった。
たいていは不必要に早めに着いて、時間を持て余すと自然に代々木方面へ足を向ける事が多かったように思う。スーツでビルの谷間に居る事の普通さに居心地の悪さを感じて、やけに緊張してしまう。高層ビルの空地で憩えない僕には、代々木の路地をぶらぶらと歩いている不自然さの方がずっと落ち着いた。
昨年、竣工した代ゼミタワーは路地歩きの時は便利なランドマークだ。適当に歩いていても自分のいる方角がすぐに分かる。綺麗なガラスのファサード一枚を隔てて、中で蠢いている学生の姿を眺めているのも飽きない。


何度か代ゼミタワーの前を通り過ぎていると、隣のマンションが不思議な魅力を放っているのに気付いた。




なにかありそうだ、という直感で『桑野ビル』について調べてみた。
同じ頃、建築史家の倉方さんに『桑野ビル』が雑誌に掲載されていた事を教えて頂いた。

『建築文化』1962年8月号に桑野ビルは掲載されている。建物の名前よりも大きなタイプで冠されたタイトルは「街区周辺部の貸アパート」。
“近頃流行の貸アパートの一例であるが、いよいよ運営されてみるとなかなか面白い課題を含んでいる。(中略)それが、立地条件からアパートが良いのではないか、という潜在観念により、割合に抵抗なく固まって実現されたのであったが、いざ蓋を開けてみると約半数が事務室として使われている。”(『建築文化』1962年8月号より)
本来は住居向けの賃貸アパートなのだけれど、実際は事務所として使用される部屋もある、住居兼事務所タイプのアパートとして紹介されている。SOHOタイプとして流通しているマンションのはしりの一つだ。

“敷地状況が、背面の私道により高さの制限を受けるために建物を北側に押し込めざるを得なかったことが、表現上の面白みを加えをしたが、法の不備が建物を変に歪めねばならなかったことは、何か釈然としないものが残っている。”(『建築文化』1962年8月号より)
都市の規制に苦闘する建築家のぼやきが随所で読める。

内装写真を見ると、いわゆる“三種の神器”が完備したダイニングキッチンが写っていて、事務所ではなくモダンな住居として売り出していたのが分かる。


『建築文化』1962年8月号より)




住所で検索をしてみると、桑野ビルは現在もオフィスとして使用している部屋が多いことが分かる。夕方に歩けばランニング姿でエントランスで水遣りしながら談笑するオジサンもいて、生活が営まれている様も見ることができる。
竣工当初の重くてシャープな外観は今もそのまま。そこに鉢植えや蔦植物の緑が点在して、竣工当時のシャープさに年月が積み重なった優しさが感じられる。

(『建築文化』1962年8月号より)

いま就職活動を振り返ると、代ゼミタワーの下、桑野ビルの不思議な佇まいが印象に残っている。

設計/円建築設計事務所
施工/協和営造株式会社
構造/鉄筋コンクリート造6階建て(地下1階、地上5階)
工期/1961.4~12

2009年10月23日金曜日

2009年10月18日日曜日

2009年10月15日木曜日

大岡ハゼドン

ここ3週間程続いた雑用諸々が、一段落。

らくちんで、のんびり一日遊びたいな~と思い、大岡川でハゼ釣りに。
ハゼ釣りなんて10年振りくらいだ。
当時、近所の小川で釣っていた頃は大して釣れないわ、上流の工場排水や生活排水のせいで水は汚いわ、であまり楽しかった想い出ではない。大して釣れないフィッシングほどつまらないことはないもの。

日本大通りの上州屋(お洒落になった日本大通りのど真ん中、地下にある)でアオイソメを買い、コンビニに寄って11:00に大岡川に到着。

とりあえず、コンビニで買ったビールを開けてから(手が汚れたら開けられないので)、前日の夜に引っ張り出した竿を組み立てて、紐を付けたバケツを落として水を汲み、10年前の仕掛けを組む。川べりの塀に立って、投げ込むと数秒でアタリが来る。
それからは釣れる釣れる釣れる!めちゃくちゃ面白い!
釣れるフィッシングって奴は、こんなに面白いのか!

平日なので釣りをしている人はまばらで、買い物袋を提げた奥さんや、スーパーカブで配達するおじさんが、物珍しそうに僕とバケツを眺めて通り過ぎる。知らないおっさんが「フィッシュオン!」て言ってくれる。そんな通行人を横目に僕は、インスタントな開高健になりきって心の中で「オーパ!オーパ!」と舞い上がっていた。

結局、3時頃までやって形の良い奴を20匹ちょっと、がさがさと持ち帰った。
1時間くらい掛けて捌いた。まだちょっと生きてるやつの首を落とすのは、少し痛い経験だ。



昔からハゼ釣り場として大岡川は有名だったらしいのだけれど、近年、僕のようなにわかハゼ釣り人が増加しているらしい。大岡川で子ども連れや女性が並んで竿を垂らす姿が以前よりも増えたそうだ。
その要因としては2000年以降、特に2005年の「バイバイ作戦」による「ちょんの間」の集中摘発。2008年の高架下スタジオ建設、黄金町バザールの開催が果たした影響が大きいだろう。

なにせ僕が小学生の頃は「寿町、曙町、黄金町には行かないように!行っても人と目を合わさないように!!」と教育されていたぐらいだから、その頃と比較にならない位に大きく街のイメージは明るくなった。

NPO黄金町エリアマネジメントセンター「アートによる街の再生」を掲げている。アートイベントで集客で賑わうだけでは、街の再生は完成ではない。
何でもない休日に老若男女が川で釣りを楽しむ姿こそ、街の再生が実を結んだ風景なのだろう。


そんなことを、家で捌いたハゼの天ぷらを食べていた時に思った。
いや~、らくちんで楽しくて旨かった!

もう一回くらい行こっと。

2009年10月10日土曜日

BUKKOCHO





近所の仏向町団地。残りの街区の工事が始まる前に撮影。


小学生の頃は、よく皆と此処で不法投棄されたTVやらスクーターを解体していて、めちゃくちゃ怒られた。

こういう、眼つきの悪い野良猫が割と好きっす。

今となれば、いろいろと想い出があるだけに残念。

キラキラ橘に折紙を見にピスタチオ


高校時代から敬愛する西田シャトナー氏が、折紙の個展を開くとの告知を氏のブログで知り見に行ってきた。

■西田シャトナーおりがみ展 22.5度の宇宙
http://the-world-of-225.seesaa.net/

会場は、曳舟キラキラ橘商店街のど真ん中。





写真は写りが良くないので、実際にシャトナーさんの折紙作品集を見てもらった方がいいです。

■西田シャトナー演劇研究所 Nishida Shatner's ORIGAMI WORKS
http://www.shatner.jp/origami%20arts/shatner's%20origami%20works.htm

シャトナーさんはギャラリーの一角で黙々と折紙を折っている。
下町の商店街の夕暮れの中、買い物袋を提げた叔母様方が
「見事なものね~、エイリアンですって。プレデターって何かしらね?ブチャラティ?石仮面?」
という会話が面白かった。


昨年度から一年間、TAを担当させていただいた授業で数回この場所を見学で訪れている。
授業の中でも、向島学会が支援してきたアートプロジェクト「墨東まち見世」に触れていて興味深かった内容の一つだ。
100日間のアートプロジェクトという長い開催期間は地域の生活にアーティストと作品が溶け込み、外部のお客さんにはリピーターになってもらうことを期待している。一過性の祭りで、みんながくたくたになって二度とやる事無く良い想い出になるよりも、普段よりもちょっと頑張ってるくらいの気持ちで、ゆるく持続的にまちが活性化しようとしているという。

僕も20日の「トリのマーク(通称)」の公演を観劇に再び訪れようかと思っている。まんまとリピーターにさせられているわけだ。
高校時代から「えんげきぶっく」で目にして、憧れていたトリのマーク(通称)は現在、古い薬屋さんをリノベーションした「カフェこぐま」を拠点にしている。「カフェこぐま」はまた向島学会や周辺地域の方々の拠点でもある。

■アート&カフェこぐま
http://ko-gu-ma.com/

自分にとって強く興味を惹いてきたヒトやモノ、風景が、いま向島に集中している。

僕は今回、6月以来4ヵ月振りに向島周辺を訪れた。老若男女が疾走する自転車に何度もぶつかりそうになりながら、ぶらぶらと気ままにまち歩きをして、キラキラ橘商店街に向かった。この短い期間にもまた空き地が生まれたり、小さな公園が整備されていたりすることに気づき、このまちの変化の早さと一方で、いわゆる下町的な変わらないものとの対比、部外者である僕にとってはそんな風景の展開の面白さに目がくらみそうになる。

いや、それは浅草で電気ブラン飲んだせいか。

2009年10月8日木曜日

そろそろ遊べるようになってきた

ストリートビューで外見から都営アパートの型を当てるゲームをしてみた。
当たっているかどうかは後日、調べてみます。


大きな地図で見る
ここは49C型なんですよ。たぶんだけど。なんでかっていいますと。


大きな地図で見る
ここも49C型。階段室は北側だけどのっぺりしていて、窓が一つなのが目印。あと屋上が(過去には)使用できるだろう、というのもポイント。


大きな地図で見る
で、ここは51Cs型。

大きな地図で見る
ここも51Csですね。北側のっぺりだけど窓二つなのが目印なんです。あと、こっちは屋上は使用できなかったんだろうな、という雰囲気(柵が無いとかペントハウスがサービス用の一か所だとか)というのがポイント。


大きな地図で見る
武蔵野グリーンパークは東京都独自の型だったはず。TK○○型みたいな名称だけどまだカバーしきれてない範囲。


大きな地図で見る
これも…ちょっと分からないぞ。東京都の独自の型なんでしょうかね。ドアを開けた瞬間は明るくあってほしいという気持ちは理解できるように思う。

ってことまで分かるってのが僕がちまちまやってること。
思ったよりも50年代の都営アパートって現存してなかったし、全て増改築済みなんですね。

2009年9月21日月曜日

今日、購入した本

本業 (文春文庫)元アイドル! (新潮文庫)町でいちばんの美女 (新潮文庫)ありきたりの狂気の物語 (新潮文庫)新解さんの謎 (文春文庫)日本人改造論―あなたと俺と日本人 (角川文庫)仁義なき映画論 (文春文庫)のほほん雑記帳(のおと) (角川文庫)東京都北区赤羽 2 (GAコミックススペシャル)建築の出自―長谷川堯建築家論考集

オースターのムーンパレスはやめといた。
積読状態になることは分かっているため、少し後悔。
しかし、一覧にしてみると自分の読書の傾向は高校から進歩せず広がっているだけだ。