
我が家の近所にあるアパート。
配管が通りから丸見え。なところが密かに好き。
先日、BOOK CROSSING に参加してみた。
読み終わった本に、BCID番号を記入したステッカーを本に貼り、友達に渡したり、ベンチにおいてきたり、カフェに忘れてきたり。
本を手にした人が、本に書かれているBCID番号をBookCrossing.jpのウェブサイトで検索すると、どんな旅をしてきたかが分かります。
現在位置や本の感想(ジャーナル)をウェブサイトで報告して、また本を世界に解き放つ。 そして、本は旅を続けていく…。
ダ・ヴィンチを読んで知って、なかなか面白そうだった。で、自分も本を置いてみたら、結構面白かった。というのも、以前に「ショップ・ドロッピング」というアクションにも興味があって、自分も実際にやってみたかったのだ。
世界中の街中を図書館に!
思わずカメラ構えてしまった。かなりのスピードで走ってて驚き。
お手伝いをさせていただいている学部の授業の見学会で墨田区をまち歩き。
押上駅からスタートして、東京スカイツリーを建設現場~京島~向島と歩いて歩いての4時間。
面白すぎる!!
路地を曲がれば何か面白い長屋や空き地に出会うし、そもそもどうしてそんな路地や長屋や空き地といった空間が成立しているのかを先生に解説してもらえるのだから、テンションが上がってしまってしょうがない。
一応、授業嘱託という立場なのに大したお手伝いもせずに、学生と同じように勉強させてもらっている。申し訳ないな、と思いながらも楽しい時間を過ごしています。 今日は先生曰く「ダイジェスト版です」ということなので、そのうちにでも、また時間をかけてまち歩きをしよう。と思った。
以下、本日の見学写真の一部。
解説は省略。
プレヘレニック様式というものがあるらしい。建築の様式の話。
なんでも、プレ(以前)、ヘレニズム(ギリシア風)という意味で、つまりはギリシア様式以前の様式をプレヘレニック様式と呼んだらしい。「呼んだ」と過去形なのは、この名称が現在は正しくはないという学説があるから。
最近になり、女子美術大学教授勝又俊雄(かつまたとしお)先生により、この様式名が必ずしも正しくないことが指摘されました。先生の研究によりますと、ギリシア以前のエーゲ文明は、かつては神話世界の話で実在しなかったと考えられていました。ところが、シュリーマン(1822~90)がトロヤ、ミケーネなどを発掘したことにより、初めて実在が明らかになりました。エーゲ文明の研究は、その後大きく進展し、ギリシア文明以前にも新石器時代にまでさかのぼれる数千年に及ぶ様々な文明の歴史があり、各文明の栄えた地域や時代区分も詳細に分かってきました。そのため、現在では「プレヘレニック」の名称ではあまりにも漠然としすぎているのです。[via プレヘレニック様式]
このプレヘレニック様式というのは、日本人が名づけた名称で、その様式の建物というのは日本にしか無いということだ。
それが大倉山にある「大倉山記念館」。設計者は古典建築の第一人者の長野宇平治(ながのうへいじ、1867~1937)。彼が「プレヘレニック」の命名者。「大倉山記念館」は元来は「大倉精神文化研究所」の本館として建てられた、思想哲学の研究施設。製紙業を営み、東洋大学の学長も務めたことのある大倉邦彦が私財を投げ打って建設、維持管理してきた建築物。
長野宇平治はヨーロッパを旅行してまわった時にクレタやミケーネの遺跡発掘から明らかになったプレヘレニック様式を観て、大倉精神文化研究所の設計で直接再現したという。遺跡から様式を引用して現代に蘇らせたというのが、長野の凄かったところだ。なにせ、当時は西洋の模倣をするしかなかった時代に、模倣の精神を突き詰めた結果、図らずも西洋を越えた唯一の様式を模倣してしまったのだから。
・・・ということを、見学してから面白そうで調べ始めたら案の定面白すぎて止まらなくなってきたー!明日もあるし、他にもやることは沢山ある筈で、これはまずい。そろそろ止めとかなければ・・・。ちょっと建物見学をするつもりが、街の成り立ちや建築史に大きく関わりがあることが分かってきて凄く面白い建物だというのは確か。
しかし、長野宇平治ってwikiとかで調べると、日本建築史でも、もの凄く重要な人に思えるのだけれど、今ひとつ分からないことが多い。評伝とか研究書とか出ていないんだろうか?
ここまでつらつら書いてみたけど、結論としては、大倉山記念館に行く途中にあるTOTSZEN BAKER'S KITCHENというパン屋のあんパンがめちゃくちゃ美味っ☆なのだ。
[via 横浜市大倉山記念館見学用資料(未定稿) ]いつも渋谷駅を利用していながら、まだ観に行っていなかったので、ちょっとだけ遠回りして観てきた。
芸術は爆発だ!というアフォリズムが有名で、単純で変人みたいに思われる岡本太郎だけれど、僕はけっこう好きだ。
「個人的に作品を売ることを拒否し、誰もが好きな時に作品を見られる」ことを重んじていた彼の作品の多くが路上や公園に置かれているように、岡本太郎はパブリックアートの先駆者だった。街を歩いていて本物のアートに出会うという体験は楽しくなる。彼の作品はアーティストを呼んでアートを置こうという、計画ありきのパブリックアートに見えないというのが親しまれ易い理由の一つなのではないかと思う。売ることを考えていないが故に、イスなどの一部の作品を除いては、一品しか存在しないし、作品のことごとくがとにかくでっかい。キレイでなくて、上手くも見えなくて、心地よくもないものが、巨大なスケールで街にあるというのは老若男女問わずインパクトが大きいだろう。景観の良し悪しとかの判断の前に、「で、でかい!」という感想が出てしまえば岡本太郎の勝ちなのだろうと思う。
「明日の神話」が岡本太郎の家のある渋谷に、それも駅という公共の空間に置かれたのは、きっと大正解だ。岡本敏子さんも喜んでるに違いない。
けれど、駅の蛍光灯に照らし出された「明日の神話」を観て、僕はメキシコの太陽の下にこの絵が置かれたら、どんなに強烈だったろうと思わずにいられない。
気がつけば早12月。
当初予定していたよりも12月に入っても研究室にいることが多く、そういう意味では途切れることなく建築に関わっているのだけれど、実作を観に行ったり展覧会を観に行ったりというのが、ここ最近はめっきりと減ってしまっている。つまりは出不精なのだ。
で、最近は何しているかと言えば、「ゼロ年代」というキーワードが分からなかったので、ざっと社会学を読んでみたり、90年代の日本語ラップに今更はまっていたり、相変わらず地道に研究をしていたり、といった感じで、気持ちもリアルな(若しくは最新の)建築から離れて完全にインドア化してしまっている。(ここまで書いてて、建築雑誌を最近読んでいないというのが、原因なんじゃないか?と思った。よし、読もう!)
そんなインドア化の状況に少し危機感を感じて、帰り道に代官山で下車して、ヒルサイドフォーラムで開催している「ヨーロッパ・アジア・パシフィック建築の新潮流2008-2010」に行ってきた。
展示の解説も限られているし、プレゼンテーションも決して十分なスペースが与えられているわけではない、海外の建築家だとテキスト訳も違和感を感じた。そうなると背景やコンセプトの理解よりも、プレゼンテーションや模型が面白そうなのを中心に、自分なりに解釈してしまうという見方になる。その点では、カタログ的なプレゼンに徹していた藤本壮介は、日本にいて作品の大半を既に知っている自分でも改めて楽しめた。海外では、タイやトルコの建築が魅力的だった。スペインのIzaskun Chinchillaのキャラクターを押し出したプレゼンテーションも独特で参考になる。
展覧会ではカタログ的に興味をもった建築家を見つけて、後でサイトを探してより深くプロジェクトを見てみる。そういう見方がこの展覧会では正しいんだろうな。復習が大事といった教訓を得た展覧会だった。
東横線「横浜~桜木町間」高架と旧桜木町駅の活用方針
方針では、高架下・壁面・駅舎の約1.2キロのエリアを、横浜の都心臨海部を文化芸術により活性化する「ナショナルアートパーク」の一翼を担う場としてとらえ、旧高島町駅周辺の高架下には、個性ある店舗・ギャラリー・アトリエなど集客性のある施設の設置や、市営地下鉄高島町駅をみなとみらい方面につなぐ出入り口の設置を検討。紅葉坂周辺には、遊歩道と、県立音楽堂や横浜能楽堂などがある紅葉坂エリアを繋ぐ歩道橋や、みなとみらいゲートの設置の可能性を今後具体的に検討する。
[via ヨコハマ経済新聞]
横浜トリエンナーレに行った際に行くことができなかった黄金町バザールへサイクリング。
京急線の日ノ出町駅から黄金町駅にかけてのガード下は、かつて特殊飲食店が建ち並んでいた地域。現在も建物の多くは残っているけれど、その多くはもはや営業はしていない。
2005年の横浜開港150周年の頃に、集中的に浄化、摘発が行われ、空き店舗の一部はバーになったりアーティストのスタジオになったり。
黄金町バザールは京急線のガード下の空間にスタジオを建設し、アーティスト、ショップが入居して行われるイベント。
「日の出スタジオ」と「黄金スタジオ」の2つのスタジオが建設されていて、「日の出スタジオ」は横浜国立大学大学院の学生と教授の飯田善彦の設計。「黄金スタジオ」は神奈川大学工学部の学生と「みかんぐみ」の曽我部昌史の設計。
黄金町バザールと、黄金町周辺の再生への取組みの大まかな経緯は以下。
・ヨコハマ経済新聞
「黄金町バザール」から広がるまちづくり <br />地元住民、大学、横浜市が目指す街のルネッサンス(2008-11-01)
かつての風俗エリアも今は昔… <br />再生へ向け動き始めた黄金町の「現在」(2006-12-06)
いまでも、警察が24時間の巡回を行っているし、看板がそのままの特殊飲食店が軒を連ねているのを見ると、少し複雑な気持ちにもなります。アートによって、地域のイメージアップはここ数年で大幅に進んだ感覚は強く持ちます。
けれど、このまま撲滅を進めた結果、地域の負の記憶を消し去ってしまっては欲しくない。いつか、この負の記憶を笑い、アートや遺産として昇華できる街であって欲しいと願います。
自転車を整備している。先週、がっつりと洗車してオイルの切れた箇所や、消耗した部品のチェックをした。積もった埃やこびりついたオイルを落としていく作業に熱中する。
これから徐々にパーツを揃えて交換していこう。
せっかく整備をしたのだから、定期的に乗らないとまた埃をかぶってしまうので、数日おきに、ちょっとしたサイクリングをしている。自分の生活圏を再確認し、時には見落としていた穴を埋めていく街走りは、久々に楽しい。
大原隧道。土木学会の歴史遺産に認定されている隧道(トンネル)は、ちょくちょくテレビやPVのロケでも見かける。人が3人くらいしか通れない歩行者専用トンネルで、元々は関東大震災後に建設された浄水道。
大原隧道の真上は清水丘公園で、こちらの丘もドラマや映画などに使われているとのこと。行ってみると結構こじんまりとした普通の公園です。周りは住宅地なのに、ロケハンする人達はこういう場所をよく見つけるもんだと関心します。
伊勢崎町のモダニズム建築。不二家ビル。
アントニン・レーモンド設計と言われなければ、全く気づかずに通り過ぎてしまいがち。よく見ると、立面の構成とか、屋根の形が格好良くて、この街で好きな建築の一つ。映画を観に行くときによく眺めます
もう一つ、「同世代の橋」というコンセプトの大好きなポストモダニズムの建築もあるのだけれど、それはまたの機会に。
久々に代官山へ寄る機会があったので、前々から行きたかった旧朝倉家を見学。ヒルサイドテラスの裏側にある邸宅。
東京府会議員だった朝倉虎治郎の自宅として1919年に建設され、近年は経済企画庁(現内閣府)の渋谷会議所として使われてきたという。2004年には国の重要文化財に指定されており、改修、復元を経て、渋谷区の管理の下に一般公開されている。
ヒルサイドテラスアネックスA棟を裏側から。
<参照>
[シブヤ経済新聞[代官山・猿楽町の重要文化財「旧朝倉家住宅」が初の一般公開]]
そんなわけでこの間のコントをニコニコ動画にアップしました
最後列の臨場感を体感ください。
ちなみに、僕が学ランを来ているシーンのキャラクターの名前は『出来杉手酢まんじろう先輩』といいます。ずっと「酢まんじろう」が名前だと思っていたら、「まんじろう」だったらしい。苗字が「出来杉手酢」って・・・。
僕の中での、今年のベストネーミング。
エスカレーターの側面もアールデコ調で装飾されています。
最近は、透明にした側面も見ますが装飾はあまり見ないので面白い。
エレベーターの階数表示板も装飾的。
昨年に解体された日劇シネマの壁画もあった。