2009年2月19日木曜日

夢の痕

大船から横須賀線に乗って、戸塚駅で下車。バスに揺られて着いたのは、横浜の夢の跡。

懐かしのドリームランド。
2002年にドリームランドは閉園。僕らが高校1年くらいまでは、休日に同級生とかと遊びに行った場所だ。
ワンダーホイールという観覧車があって、揺れるゴンドラと揺れないゴンドラどっちに乗るかで少年期の度胸が試された場所。

で、閉園後にこの場所はしばらく更地になっていたのだけれど、紆余曲折あって横浜市が買い取り、半分が横浜薬科大学に、残り半分が公園と墓地になったのだった。

さて、僕がここを訪れた理由として、先ず第一は今年早々にサイプレス上野とロベルト吉野の2ndアルバム「WONDER WHEEL」を聴いた為。

彼らの曲の中で、ドリームランドに隣接した団地「ドリームハイツ」の存在を知ったのだ。

さて、ドリームハイツの前に横浜薬科大学に入らなくちゃ。
ホテルエンパイアを見なくちゃ建築学生じゃないぜ!!

「建築物としてのホテルエンパイア」
大林組により1965年に竣工した。完成当時地下2階地上21階、高さは建物部の高さが68メートル、尖塔と避雷針を含めて93mであり、工事期間は僅か1年という突貫工事だった。
最上階の21階は回転する構造になっており、回転展望レストランとして使用された。21階という階数は、来るべき21世紀を象徴したもので、ホテルでありながら五重塔をモチーフとした和風建築とし、内装について“桃山時代の文化の復元”を標榜したのは、「日本にしかない、日本でしかできないホテルを目指すべき」という意図による。
五重塔を伸ばして二十段にしたような独特の形状で、高台の上に建っており近くに高い建物や大きな山が存在しないことから、多少離れた場所からでも目立つ建造物で、付近がまだ田畑ばかりだった完成当初はひときわ異彩を放つ存在であった。その後開発によって宅地化が進んでも、ホテルエンパイアの建物は横浜ドリームランドの観覧車とともに周辺一帯(戸塚区および藤沢市)のランドマークとして長年親しまれた。
[via wikipedia:ホテルエンパイア]

ウィキペディアには、ホテルエンパイアの重要な記述が抜けている。
それはホテルエンパイアが「日本の超高層建築の先駆け」であるということ。
霞ヶ関ビルが「日本初の超高層建築」と思われがちだけれど、霞ヶ関ビルは「日本初の(100m越えした)超高層建築」で、戦後の「高層建築」としてはホテルエンパイアやホテルニューオータニが先。だけど、これらは100mは越えていない。「100m以上なら超高層」というのは霞ヶ関ビルの後の時代になんとなく決まったことで、その為に霞ヶ関ビル以前の高層ビル群がかすみがちだ。(もちろん戦前には浅草の凌雲閣がある。)

戸塚の人はあまりホテルエンパイアをプッシュしないけれど、実は結構凄い建物なのだ。
なんせ、展望部分が回る!!
そんで、世界で唯一の桃山調の高層ビルなのだ!!(時代が違えば帝冠様式だ)

このホテルエンパイアはドリームランドより先に95年には廃業して、気付いた頃にはずっと廃墟になっていたのだけれど、横浜薬科大学建設に際して、大学の幹部役員室や図書館を含む施設へとコンバージョンされた。これは見るしかないっというわけです。

横浜薬科大学に入って、「ホテルエンパイアを見たいっす!入りたいっす!」と職員の方に伝えると、快く案内してくださった。

少年時代からの憧れの展望台にも入れた☆

現在は、展望階は回転しないということ。一度でいいから回転する姿を見てみたかった。



展望台からの眺め。ドリームハイツを見下ろす。
変わった形のスターハウスがあるんです。まさか上から見れるとは!

他にも大学構内を案内してくれた。薬草栽培しているビニールハウスとか。
面白かったのは、講義棟以外の建物の多くが、ドリームランド時代の既存建物のコンバージョン、リニューアルで賄っているということ。言われなければ全く気付かなかった。

現在の食堂は、ドリームランド時代はボーリング場だった建物。
遊び心で、食堂の奥にボーリングレーンを幾つか残しているとのこと。そんなにボーリングやりたい学生がいるのか、と思ったけれど、「新入生は入学後しばらくは面白がってやってるよ☆」とのこと。
しかし、学食の脇にボーリング場というのは面白い。まともに新築してたら絶対に出てこない建築プログラムだ。団塊世代の理事が「やっぱり、大学生はボーリングだろ!!」みたいなやりとりをしたのではないかと妄想。
なんだか感動してしまった。


次はドリームランドの残り半分とドリームハイツへ。
更にビールを入れて、酔っ払いながらの団地見学。

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