「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」


ミニラの演技がとっても良い。怪獣のジュブナイルだ。
アクターは深沢政雄(小人のマーちゃん)。表現力と運動能力が惚れ惚れするほど。
だって、僕の後ろにいた外国人観光客のグループがずっとミニラの演技に一喜一憂、釘付けだったもの。
きっと、映画版クレヨンしんちゃんに感動する大人は、この映画で感動できそう。
怪獣映画を観たのに「親子って良いなぁ!」とほのぼのしながら劇場を出た。
「建築物としてのホテルエンパイア」
大林組により1965年に竣工した。完成当時地下2階地上21階、高さは建物部の高さが68メートル、尖塔と避雷針を含めて93mであり、工事期間は僅か1年という突貫工事だった。
最上階の21階は回転する構造になっており、回転展望レストランとして使用された。21階という階数は、来るべき21世紀を象徴したもので、ホテルでありながら五重塔をモチーフとした和風建築とし、内装について“桃山時代の文化の復元”を標榜したのは、「日本にしかない、日本でしかできないホテルを目指すべき」という意図による。
五重塔を伸ばして二十段にしたような独特の形状で、高台の上に建っており近くに高い建物や大きな山が存在しないことから、多少離れた場所からでも目立つ建造物で、付近がまだ田畑ばかりだった完成当初はひときわ異彩を放つ存在であった。その後開発によって宅地化が進んでも、ホテルエンパイアの建物は横浜ドリームランドの観覧車とともに周辺一帯(戸塚区および藤沢市)のランドマークとして長年親しまれた。
[via wikipedia:ホテルエンパイア]
大船観音は昭和4年(1929年)、地元有志の発起により護国観音として築造が開始、昭和9年(1934年)には輪郭が出来上がっていたが、戦局の悪化により築造は中断。その後20年以上放置される。 第二次世界大戦後、財団法人大船観音協会が設立され、昭和35年(1960年)4月に完成した。なお大船観音協会には、曹洞宗管長の高階瓏仙(たかしな ろうせん)や、東京急行電鉄の初代社長五島慶太の名前をはじめ、各界の著名人の名が見える。財団法人大船観音協会は、昭和56年(1981年)11月30日に解散し、宗教法人大船観音寺と改称され現在に至る。
[wikipedia:大船観音寺]