2009年10月24日土曜日

桑野ビルについて覚書

半年ほど前の就職活動中、新宿に来る事が度々あった。
たいていは不必要に早めに着いて、時間を持て余すと自然に代々木方面へ足を向ける事が多かったように思う。スーツでビルの谷間に居る事の普通さに居心地の悪さを感じて、やけに緊張してしまう。高層ビルの空地で憩えない僕には、代々木の路地をぶらぶらと歩いている不自然さの方がずっと落ち着いた。
昨年、竣工した代ゼミタワーは路地歩きの時は便利なランドマークだ。適当に歩いていても自分のいる方角がすぐに分かる。綺麗なガラスのファサード一枚を隔てて、中で蠢いている学生の姿を眺めているのも飽きない。


何度か代ゼミタワーの前を通り過ぎていると、隣のマンションが不思議な魅力を放っているのに気付いた。




なにかありそうだ、という直感で『桑野ビル』について調べてみた。
同じ頃、建築史家の倉方さんに『桑野ビル』が雑誌に掲載されていた事を教えて頂いた。

『建築文化』1962年8月号に桑野ビルは掲載されている。建物の名前よりも大きなタイプで冠されたタイトルは「街区周辺部の貸アパート」。
“近頃流行の貸アパートの一例であるが、いよいよ運営されてみるとなかなか面白い課題を含んでいる。(中略)それが、立地条件からアパートが良いのではないか、という潜在観念により、割合に抵抗なく固まって実現されたのであったが、いざ蓋を開けてみると約半数が事務室として使われている。”(『建築文化』1962年8月号より)
本来は住居向けの賃貸アパートなのだけれど、実際は事務所として使用される部屋もある、住居兼事務所タイプのアパートとして紹介されている。SOHOタイプとして流通しているマンションのはしりの一つだ。

“敷地状況が、背面の私道により高さの制限を受けるために建物を北側に押し込めざるを得なかったことが、表現上の面白みを加えをしたが、法の不備が建物を変に歪めねばならなかったことは、何か釈然としないものが残っている。”(『建築文化』1962年8月号より)
都市の規制に苦闘する建築家のぼやきが随所で読める。

内装写真を見ると、いわゆる“三種の神器”が完備したダイニングキッチンが写っていて、事務所ではなくモダンな住居として売り出していたのが分かる。


『建築文化』1962年8月号より)




住所で検索をしてみると、桑野ビルは現在もオフィスとして使用している部屋が多いことが分かる。夕方に歩けばランニング姿でエントランスで水遣りしながら談笑するオジサンもいて、生活が営まれている様も見ることができる。
竣工当初の重くてシャープな外観は今もそのまま。そこに鉢植えや蔦植物の緑が点在して、竣工当時のシャープさに年月が積み重なった優しさが感じられる。

(『建築文化』1962年8月号より)

いま就職活動を振り返ると、代ゼミタワーの下、桑野ビルの不思議な佇まいが印象に残っている。

設計/円建築設計事務所
施工/協和営造株式会社
構造/鉄筋コンクリート造6階建て(地下1階、地上5階)
工期/1961.4~12

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