2010年8月18日水曜日

平和アパート(公営48型)

広島に行ってきました。

そこで、かねてより見てみたかった広島市営平和アパートを、外から眺めてきました。
ひとまず、備忘録程度に手元の資料と見比べてみたことをまとめておきます。

平和アパートについては、事前に下記のリンク等で情報を得ていました。

広島ぶらり散歩 (広島)市営平和アパート・昭和町
広島ぶらり散歩「更新の一枚」:(広島市営)平和アパート・昭和町
建築マップ 広島県 平和アパート

これらによると、どうやら平和アパートは1948年~1949年にかけて建設されたコンクリート造アパートらしい。

1948年に建設されたアパートであるとすると、1947年に建設された建設省による最初の公営コンクリート造アパートである高輪アパート(通称:47型)を改良した、48型という型の標準設計にあたる可能性が高いと考えられます。
資料文献によると、48型は
「全国的な建設の試験的な段階として、6大都市(*)及び広島、長崎などの主要都市に建設」されたとあります。(出典:建築雑誌1952年1月20日号
これには、経済・物流面で主要都市が有利であることに加え、戦中に喪失したコンクリート施工技術および技術者を、まずは主要都市を拠点として回復させることが意図されていました。
(*六大都市:東京市(現 東京都区部)、横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市)

建設当時の48型(出典:大阪府住宅年報1954)


48型は、既に書いたように「全国的な建設の試験的な段階として」建設されました。
高輪アパートの竣工の前に48型は工事が着工しており、そのため48型では住まい方を踏まえた改良はなされずに、ほぼ全面的に高輪アパートのプランを踏襲している点が特徴といえます。(住まい方の調査を基にした設計の改良がなされるのは、49型以後でした)
では、どこに改良がなされていたかというと、上記に同じく「建築雑誌」の記述によれば、以下の点が挙げられています。

・1階の木造床を鉄筋コンクリート床として、物置用の地階を設けた
・居室の窓上部に欄間をつけて換気を設けた
・窓上部に庇をつけた
・床の間を廃して押入れを2間に変更
・台所の調理台等の配置を改善
・ダストシュートを廊下から台所内へ位置変更
(出典:建築雑誌1952年1月20日号

47型の平面(筆者作成)


48型の平面(筆者作成)


48型の立面
(出典:建築雑誌1952年1月20日号


つまり、外観からは殆ど高輪アパートとの違いは分からない程度の変更でした。
高輪アパートと48型の外観上の違いは、まずは窓上部の庇の有無、それと48型の写真を見ると共用階段部分の開口部に引き違いの窓枠を嵌め込んだものが見られるので、その2点が外観上の変更点といえるかもしれません。


ちょっと長くなりましたが、「で、平和アパートはどうなの?本当に48型なの?」というのが今回の見学の目的でした。
外観を見てきただけなんで、感想は短いです。

1号棟の南側(便宜上、アクセス方向で南・北としています)


3号棟の南側


1号棟の北側


まず、立面と写真を見比べると、大きな特徴である南入の型式は共通しています。
1号棟では南側に1間分貼り出しており、増築がされていることが分かります。増築部分には、新たに浴室が設けられているようです。
また、2、3号棟では増築はされていませんが、写真では浴室窓らしきものが見られます。当初の立面図では引き違い窓が連続して大きな開口部となっており、立面の構成が合致しません。ただし、1948年当時の公営住宅には、基本的に浴室が設けられておらず、公営住宅に浴室が導入され始めるのは、1952年頃からでした。その事から、後年の改修時に1号棟は南側に1間増築し、浴室を追加しており、2号棟および3号棟では増築せずに南側8畳の居室の一部を浴室に改修した事が考えられます。
また、北側の立面を見ると、こちらには増築はなされていません。ただし、設備配管が外部に露出しており、これらは立面図には表示されていないことから、改修時に将来のメンテナンス等の点から、配管を外に出したのかもしれません。

以上のように、南側には改修が施されていて、当時の立面とは大きく変化していますが、北側の立面は設備配管を更新した他には、ほぼ変更が無いようです。
ひとまず、手元の資料との見比べで、ざっと分かったのはここまででした。

築60年を過ぎて、未だ現役。川辺の景観の一部として調和しているように感じました。
高輪アパートがなくなり、戦後のコンクリート造アパートとしては最初期事例の一つ。
見てきて良かった。

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